2013年9月30日月曜日

始めての試合

9月28日に四条グランドで低学年の試合を行いました。
1年生にとっては始めての試合。
年上のお兄ちゃんたち相手によく頑張ってくれました!

2013年8月26日月曜日

東大阪4年生大会

8月10日に東大阪4年生大会が行われました。

小学3~4年生の沢山の皆さんに参加していただきました。
対戦相手は大阪でも屈指の強豪チームです。

今回は4年生の大会ですが数多くの3年生も参加してくれました。
1学年の違うとアジリティーの身体的な部分が顕著に表れてしまいます。

しかし、レバンテの選手たちはサッカーでの技術的な部分でしっかりと表現してくれました。

3試合全敗となってしまいましたが、相手に奪われずにしっかりとボールを動かしながら相手を抜いていく逞しさを見せてくれました。
2~3人だと平気で相手を抜くことが出来ていました。
(実際、失点も相手を2~3人を抜いた後にボールを奪われてショートカウンターのパターンがほとんどでした。)

選手たちはよく頑張り、自分たちはしっかりとした技術(瞬発的な身体能力のみの場合は含まない)を習得しており、試合で活躍できたことで自信を得ることが出来たのではないでしょうか!

わくわくできる試合を観れてよかったです!






2013年8月25日日曜日

勉強会

今年の夏休みから中学部の練習前に勉強会を行いました。

10時から練習前の2時間程度ですが選手たちに勉強をする機会を持ってもらう為に企画しました。
どんなきっかけだとしても、選手たちに勉強をする習慣を身につけることができればうれしいです。

2013年7月30日火曜日

挑戦者であり続けるために

静岡学園のブログに下記のような記載がありました。
とても大切なことなのでそのまま転載させて頂きます。
記載元https://www.facebook.com/shizugakufc

現実を正確に見ろ。そして決意しろ。ボタン掛け違えて歩いていないか?

●俺は今スランプだ。

◆油断していたので試合に出れなかった。

▲プロになれなかったのは、与えられた試練。

★期待に応えられなくて申し訳ない。

++++++++++++

目を覚まし冷静に考える必要があるといつも言う。
自分が何を言っているのかわかっているのか?
俺が翻訳してやろう(^O^)

●本来の俺は素晴らしいプレーを披露できる選手で、

◆油断していなかったらチームの中心でやれると監督からも評価されていて、

▲本来ならプロで大活躍するポテンシャルがあるもに、あいつに見る目がなくて、

★けど、まわりはきっと俺のことすごいって、見てるんだよ。

+++++++++++

だが現実が、ひたすら現実は、お前を正しく判断している。

●スランプと呼ぶほど、一度たりともすごいプレーした現実は無し

◆油断したから試合に出れなかったわけじゃない。練習で何もできないから出れぬ現実があるだけ。

▲そのポテンシャルあるなら今度見せて欲しい。想像さえできぬそれ、いつ見せてくれるんだ(笑)。

★期待するほどすごいなら使っているし、結果出しているだろう。


目を覚ませ。

自己評価が他人様とのそれと違っている。

思い込みが限りなく大きく。

だから、すべてが狂ってるんだ。

立つべき位置は、
お前たちは「挑戦者」であるから今存在できて
お前たちはごくごく普通の「高校生」だということ。

++++++++++++

「勘違い」している者はいつまでも「勘違い」に気づかない。

前会長の渡邉さんが言う。

「親にもいる。あなたがどんなこと書いても無駄だよ。悪いことは自分のこととは絶対に思わない人がいる。他人の弱みは解るみたいで『悪口・噂話』には貪欲。自分のことしかないおかしな人間。自分に問えず、まわりを正しく評価できない。そんな親が運営を乱すんだ。たぶん、あなたの言う親子ともども戦後教育のおかしな犠牲者だ」と。

スタッフはこう答える。

「そういうな。大丈夫。今ちょっと舞い上がっているだけ。いつかわかるときは来る。みんな最後はわかるものだよ。それが早いか遅いか。現実は痛いほど現実だから。現実に立って暮らすしかないわけだから。その時だよ」

勘違いとポジティブは違う(笑)

2013年7月29日月曜日

外なる不幸が君にとって不幸である限り、幸運はやってはこない

静岡学園のブログに下記のような記載がありました。
とても大切なことなのでそのまま転載させて頂きます。
記載元https://www.facebook.com/shizugakufc

勝ちたい君のために-運を掴む人間に必要なもの
「どんな不幸でも、不幸だと嘆く前に、
もっといい幸せが来るために、今の不幸があるのだと捉えれるか否か」

-------------------

今までたくさんの人に出会ってきた。これからも多くの人に出会うだろう。
・名声や成功体験があるのに人の心に響かない人
―人に良い影響を与えられるオーラを持っている人。
・言い訳が人生の人
―言い訳しない人。
・肩書・学歴や他人の評価が人生の基準な人
―自分の夢に正面な人。
・苦労の深みが無く存在が薄っぺらい人
―決して恵まれていないのにメチャクチャ素晴らしい人。
・高知識なのに哲学のない人
―その逆な、勉強できないのに知的な信念持っている人。

夢に向かう、一流な選手になるために必要な心のありかたについて少し、ある所に書いてあったことを歪めて紹介する。
理解の可否はともかく、
心を常に夢や目標の向きに据え、
心のスイッチをONにする作業は、
一流な人間、選手になるためには必須なことは疑いはない
それはテクニックを他人に倍する努力で手に入れ良い選手になることと一体不可分のものだと。
選手の勝負は24時間、1日1日のトータルな戦い。ピッチだけの選手は成功しない。
そのことだけはまず確信を持って言えることだ。

--------------------

心の持ち方にも訓練がいるということ。

☆★最も大切なことは“揺らがない・とらわれない”心を持つこと。

様々な外部環境や結果から来るイライラや、勘違い、不安、挫折、堕落の誘惑に動じず、
どんな時でも最高のパフォーマンスを発揮できる心の状態、安定した微動だにしない精神状態で、
常に前を向いた快い感じが保てる人が成功する人だ。

宮本武蔵は、「心の持ちやうは、常の心に替る事なかれ」「いつく(居着く)は、し(死)ぬる手也」と、揺らぎやとらわれについての言及がある。
如何なる時も最高のパフォーマンスが出せないと、当時は死に繋がるため、武蔵も常に生き方の思考を磨き、心の状態が挑戦のスイッチオンとなるような生き方を選択していたのだろう。

外的な様々な事柄に「揺らがない、とらわれない」ためにどうするか。
「揺らぐ」とは、ウザいとか、ムカつく、がっかりや不安といった、感情が揺れ動いている状態。
「とらわれる」は、過去の経験に基づいて脳が勝手に意味づけをし、思い込みをつくり出している状態。
 
ちょっと結果が出ると「オレは上手い」と思う。ちょっと失敗すると「オレはどうせ駄目」と揺らぐ。チームで監督やコーチ、主将が「何かをやるぞ」と言っても、選手のほうが「(今までやったが)無理だ」ととらわれて実現は難しくなる。
前進の障害、最大の敵は、相手ではなく、自分の中にある“とらわれ”、目標へ向かう間に“揺らぎ”が生じるところから、そこへは到達しにくくなる。
行きたい所へ行けるのに、それをさせない理由「揺らぎ、とらわれ」をつくり出すことに人間の脳は長けている。
そのために、多くの人は、「できないことの理由探し」をし、脳に何かしらの「意味づけ」をするのである。
そうした従来の生き方から脱却していくために重要なのが、自分自身の心の状態だ。

いくらテクニカルスキルがあっても、人間の心の状態が揺らぎ、とらわれていてはよいパフォーマンスは出せないのである。

では、実際に「揺らがないとらわれない」自分をつくり出すにはどうすればよいか?

 第一は、自分の心の状態に気づく力をつけること。
認知の脳は普段、「天気が悪い」「試合に負けた」「かわいいネエちゃんが歩いている」「悪口言われた」といったように、外側の出来事のほうばかり向いている。そこで脳を内側に向かせ、自分の感情に気づく練習をまず徹底的に行う。本を読むことは極めて大事だろう。
 第二は、気づく、揺らがない価値を認識すること。
例えば、少しの栄光に「揺らいで大切な努力の方向を見失った経験」。揺らがず挑戦した試合で「格上にパフォーマンスの高く頑張れた試合」などを思い出し考えてみるとよい。他人から学ぶことが必要だろう。
 第三は、なぜ人間は揺らいだり、気づかず過ごしてしまうことになってしまうのかという自分の脳の仕組みをよく理解する。
人間の脳はあらゆることに自分勝手な意味づけをしようとする。
例えば雨が降れば、傘を差せばいいだけなのに、それと同時に「嫌だなあ……」という意味づけまでし、揺らいだ心を生み出していく。しかし「嫌だなあ」という物質でできた雨などはどこにも降っていない。
 ただ、その意味づけを「してしまっている自分自身に気付く力」さえあれば、出来事に心が支配されず、そのとらわれからも離れることができるのだ。

心の状態を「気付き、揺らがないため」に意識する4つの行動がある。
それが「表情、態度、言葉、思考」だ。

「表情」を大事にしていると思うの例は、ボギーでもバーディーでも、常に明るい笑顔を浮かべているゴルフの宮里藍選手である。外側の出来事に支配されず、自分で自分の表情をつくって心を揺らがない方向にシフトしているのである。

「態度」で思い浮かべるのは、大リーグの松井秀喜選手である。彼はどんな取材陣のインタビューにも必ず穏やかな態度で接する。彼には嫌なことがないのかといえば、そうではない。自分の成績にがっかりしたり、マスコミの態度に苛立ったりしても何も変わらない。穏やかな態度でいるほうが、結果的によく打てることが分かっているからだろう。

「言葉」を最もよく選んでいるのは、イチロー選手である。彼がインタビューになぜゆっくり答えているか? おそらく自分の耳にどんな言葉を入れて、揺らがず勘違いしないように常に考えているからだろう。それによって最も影響を受けるのは、他でもない自分自身だからである。

最後の「思考」は、外側の出来事をどう認知するかの思考ではなく、どう考えれば心を気付く状態にできるかということである。
例えば「好きなことを(思考)考える」事も有効だろう。
選手同士のミーティングでだれも発言をしない場合がある。気付かないよどんだ状態だ。特に長く一緒にいるメンバーが多くなるとマンネリから心が気付かない状態が増える
だから「今食べたいものは何だ。やりたいスーパープレーは」などと提案する。すると必ず心が居眠り状態の数は確実に減る。

--------------------

☆★次は「いまに生きる」という思考だ。
過去や未来のことを考えると、○○しておけばよかった、○○したらどうしよう、といった後悔や不安が生じ、意味づけがしやすくなってしまう。しかし「いま」には意味づけがしにくい。そうやって今(いま)に生きることができれば、人生は好転する。
車椅子バスケの全日本チームの選手。彼らには「いまに生きる力」が圧倒的に強い。あの時なぜ夕方に家を出て事故に遭ったのか、などと考えてみても、切断した足は戻ってこない。そして明日という日が、今日(きょう)のような形で確実に訪れるわけではないことを、身をもって知っているためだろう。

「一所懸命やる」や「感謝する」思考などもその典型である。
適当に物事をやるよりも、一所懸命やるほうが楽しいと感じる遺伝子を我々は持っている。また、感謝の脳の機能は、まず人にエネルギーを与える。
周りの期待に応えようとするだけでなく、まずサッカーができる事自体に感謝しながら試合をし、応援してくれる家族に感謝し、良い試合ができる対戦チームに感謝することができれば揺らがぬ心が発揮されるとてもよい力となるだろう。

世の中で成功者といわれる人とそうでない人の差も、外部環境に左右されず、安定したパフォーマンスを常に発揮できているかどうかにあると言えるだろう。
つまり結果だけでなく、勝つまでの間、そのすべてのプロセスに揺らがぬ心を伴いながら生きている人が、成功も手に入れやすく、日々を充実して生きることができる。
そして結果のみが成功ではないと分かっている人が、最終的に結果の成功も手に入れているのである。

その代表は、ここでもやはりイチロー選手。彼はヒットを二百本打っだのが成功ではなく、二百本を打つためにどんな心のあり方で過ごし、トレーニングを積んできたかに重きを置いている。その結果、高いパフォーマンスを発揮できることで結果もちゃんとついてくる。

揺らぎやとらわれがなくなれば視野が広がる。そして例えば、いままで咲いていても気づかなかった美しい花に、気づけるようになる。誰かによい言葉をかけられていても気づかなかったのに、気づけるようになる。

だがこのトレーニングには努力がいる。。
意識されない時の自分のとらわれている位置を確認する作業、繰り返し繰り返しの瞬間瞬間の反復が必要だ。
思いのまま感情を外的要因と、認知脳にゆだねていたことを、自分から「揺らがず気付き」の働きかけをするのだから。

確かなことは人生は1回。誰のもではなく自分の人生であり、外的な要因に流されるのではなく、その夢をどうするかは自分にかかっているのだ。

ことばに思想

静岡学園のブログに下記のような記載がありました。
とても大切なことなのでそのまま転載させて頂きます。
記載元https://www.facebook.com/shizugakufc

他人への恩を知らない男は、
家庭で、学校で感謝とまわりの人への尊敬を学んでこなかった男は
先輩のことを表で「クン」付けする。
裏では呼び捨てだろう。

断言しよう。
日本の美徳を持たぬ、
「リスペクト」の魂のない軽い人間は、
信頼されない大人になる。
苦しい特に自分のことだけ考える。
大切な時に頑張れない。逃げる。
これが長く見てきた現実。

日本の美徳を捨て去った戦後教育のせいだが、
そこに帰すべきではない。

家庭であり家族の生活がそこに反映されている。
家庭で、本来の毅然とした子が育つ日常が、薄っぺらな日常にすり替わっている。
「学ぶべき人の前では控えめに立ち、その人に敬意を表し、常に学ぼうとすること」
「人には親切に、過酷な運命進む人には同情ではなく自分を投影し、自分の為すべきことを問う」
「上には上がいるという現実を知り、先人に感謝する」
その当たり前の「人の哲学」が解体しているのだ。

周りの人を尊重しなさいといっても、
覆(おお)われてしまった親子の個人主義は抜けず、
自分だけが大事という思考に固まっている。
快(こころよ)いが善で、労(いたず)くは損。
だから何しても
「さん付け」は身につかないのだ。

社会に出て初めて気づくことがある。
まともな世界が男を信用するところ、評価するのは、そういうところ。

自分を最優先にしか思考しない男。
一瞬勘違いできる環境にいようと、
齢を経て最後の最後にいるのは場末の指定席だ。
すぐそこだ。

2013年7月15日月曜日

7月3連休3日目中学部

7月3連休3日目はバタバタした一日でした。

アドバンスリーグU15が予定されておりましたが、前日に対戦相手が学校活動中の熱中症により試合が出来ないことが分かり、急遽トレーニングマッチを2試合に変更となっていました。

今日、現地に行ってみると第一試合の公式戦が行われてませんでした。

??????

会場の方に聞くと、第一試合の一チーム内で代表と現場が連絡を取れてなかったらしいとの事です。

よって、以降のすべてのスケジュールも変更となりました。

アップ後すぐにトレーニングマッチを開始したのですが、雨によるグランド使用中止となりトレーニングマッチも一試合で終了となってしまいました。

どんな状況になっても対応できる柔軟な姿勢取ることの大切さを学んだ貴重な一日でした!