2013年7月30日火曜日

挑戦者であり続けるために

静岡学園のブログに下記のような記載がありました。
とても大切なことなのでそのまま転載させて頂きます。
記載元https://www.facebook.com/shizugakufc

現実を正確に見ろ。そして決意しろ。ボタン掛け違えて歩いていないか?

●俺は今スランプだ。

◆油断していたので試合に出れなかった。

▲プロになれなかったのは、与えられた試練。

★期待に応えられなくて申し訳ない。

++++++++++++

目を覚まし冷静に考える必要があるといつも言う。
自分が何を言っているのかわかっているのか?
俺が翻訳してやろう(^O^)

●本来の俺は素晴らしいプレーを披露できる選手で、

◆油断していなかったらチームの中心でやれると監督からも評価されていて、

▲本来ならプロで大活躍するポテンシャルがあるもに、あいつに見る目がなくて、

★けど、まわりはきっと俺のことすごいって、見てるんだよ。

+++++++++++

だが現実が、ひたすら現実は、お前を正しく判断している。

●スランプと呼ぶほど、一度たりともすごいプレーした現実は無し

◆油断したから試合に出れなかったわけじゃない。練習で何もできないから出れぬ現実があるだけ。

▲そのポテンシャルあるなら今度見せて欲しい。想像さえできぬそれ、いつ見せてくれるんだ(笑)。

★期待するほどすごいなら使っているし、結果出しているだろう。


目を覚ませ。

自己評価が他人様とのそれと違っている。

思い込みが限りなく大きく。

だから、すべてが狂ってるんだ。

立つべき位置は、
お前たちは「挑戦者」であるから今存在できて
お前たちはごくごく普通の「高校生」だということ。

++++++++++++

「勘違い」している者はいつまでも「勘違い」に気づかない。

前会長の渡邉さんが言う。

「親にもいる。あなたがどんなこと書いても無駄だよ。悪いことは自分のこととは絶対に思わない人がいる。他人の弱みは解るみたいで『悪口・噂話』には貪欲。自分のことしかないおかしな人間。自分に問えず、まわりを正しく評価できない。そんな親が運営を乱すんだ。たぶん、あなたの言う親子ともども戦後教育のおかしな犠牲者だ」と。

スタッフはこう答える。

「そういうな。大丈夫。今ちょっと舞い上がっているだけ。いつかわかるときは来る。みんな最後はわかるものだよ。それが早いか遅いか。現実は痛いほど現実だから。現実に立って暮らすしかないわけだから。その時だよ」

勘違いとポジティブは違う(笑)

2013年7月29日月曜日

外なる不幸が君にとって不幸である限り、幸運はやってはこない

静岡学園のブログに下記のような記載がありました。
とても大切なことなのでそのまま転載させて頂きます。
記載元https://www.facebook.com/shizugakufc

勝ちたい君のために-運を掴む人間に必要なもの
「どんな不幸でも、不幸だと嘆く前に、
もっといい幸せが来るために、今の不幸があるのだと捉えれるか否か」

-------------------

今までたくさんの人に出会ってきた。これからも多くの人に出会うだろう。
・名声や成功体験があるのに人の心に響かない人
―人に良い影響を与えられるオーラを持っている人。
・言い訳が人生の人
―言い訳しない人。
・肩書・学歴や他人の評価が人生の基準な人
―自分の夢に正面な人。
・苦労の深みが無く存在が薄っぺらい人
―決して恵まれていないのにメチャクチャ素晴らしい人。
・高知識なのに哲学のない人
―その逆な、勉強できないのに知的な信念持っている人。

夢に向かう、一流な選手になるために必要な心のありかたについて少し、ある所に書いてあったことを歪めて紹介する。
理解の可否はともかく、
心を常に夢や目標の向きに据え、
心のスイッチをONにする作業は、
一流な人間、選手になるためには必須なことは疑いはない
それはテクニックを他人に倍する努力で手に入れ良い選手になることと一体不可分のものだと。
選手の勝負は24時間、1日1日のトータルな戦い。ピッチだけの選手は成功しない。
そのことだけはまず確信を持って言えることだ。

--------------------

心の持ち方にも訓練がいるということ。

☆★最も大切なことは“揺らがない・とらわれない”心を持つこと。

様々な外部環境や結果から来るイライラや、勘違い、不安、挫折、堕落の誘惑に動じず、
どんな時でも最高のパフォーマンスを発揮できる心の状態、安定した微動だにしない精神状態で、
常に前を向いた快い感じが保てる人が成功する人だ。

宮本武蔵は、「心の持ちやうは、常の心に替る事なかれ」「いつく(居着く)は、し(死)ぬる手也」と、揺らぎやとらわれについての言及がある。
如何なる時も最高のパフォーマンスが出せないと、当時は死に繋がるため、武蔵も常に生き方の思考を磨き、心の状態が挑戦のスイッチオンとなるような生き方を選択していたのだろう。

外的な様々な事柄に「揺らがない、とらわれない」ためにどうするか。
「揺らぐ」とは、ウザいとか、ムカつく、がっかりや不安といった、感情が揺れ動いている状態。
「とらわれる」は、過去の経験に基づいて脳が勝手に意味づけをし、思い込みをつくり出している状態。
 
ちょっと結果が出ると「オレは上手い」と思う。ちょっと失敗すると「オレはどうせ駄目」と揺らぐ。チームで監督やコーチ、主将が「何かをやるぞ」と言っても、選手のほうが「(今までやったが)無理だ」ととらわれて実現は難しくなる。
前進の障害、最大の敵は、相手ではなく、自分の中にある“とらわれ”、目標へ向かう間に“揺らぎ”が生じるところから、そこへは到達しにくくなる。
行きたい所へ行けるのに、それをさせない理由「揺らぎ、とらわれ」をつくり出すことに人間の脳は長けている。
そのために、多くの人は、「できないことの理由探し」をし、脳に何かしらの「意味づけ」をするのである。
そうした従来の生き方から脱却していくために重要なのが、自分自身の心の状態だ。

いくらテクニカルスキルがあっても、人間の心の状態が揺らぎ、とらわれていてはよいパフォーマンスは出せないのである。

では、実際に「揺らがないとらわれない」自分をつくり出すにはどうすればよいか?

 第一は、自分の心の状態に気づく力をつけること。
認知の脳は普段、「天気が悪い」「試合に負けた」「かわいいネエちゃんが歩いている」「悪口言われた」といったように、外側の出来事のほうばかり向いている。そこで脳を内側に向かせ、自分の感情に気づく練習をまず徹底的に行う。本を読むことは極めて大事だろう。
 第二は、気づく、揺らがない価値を認識すること。
例えば、少しの栄光に「揺らいで大切な努力の方向を見失った経験」。揺らがず挑戦した試合で「格上にパフォーマンスの高く頑張れた試合」などを思い出し考えてみるとよい。他人から学ぶことが必要だろう。
 第三は、なぜ人間は揺らいだり、気づかず過ごしてしまうことになってしまうのかという自分の脳の仕組みをよく理解する。
人間の脳はあらゆることに自分勝手な意味づけをしようとする。
例えば雨が降れば、傘を差せばいいだけなのに、それと同時に「嫌だなあ……」という意味づけまでし、揺らいだ心を生み出していく。しかし「嫌だなあ」という物質でできた雨などはどこにも降っていない。
 ただ、その意味づけを「してしまっている自分自身に気付く力」さえあれば、出来事に心が支配されず、そのとらわれからも離れることができるのだ。

心の状態を「気付き、揺らがないため」に意識する4つの行動がある。
それが「表情、態度、言葉、思考」だ。

「表情」を大事にしていると思うの例は、ボギーでもバーディーでも、常に明るい笑顔を浮かべているゴルフの宮里藍選手である。外側の出来事に支配されず、自分で自分の表情をつくって心を揺らがない方向にシフトしているのである。

「態度」で思い浮かべるのは、大リーグの松井秀喜選手である。彼はどんな取材陣のインタビューにも必ず穏やかな態度で接する。彼には嫌なことがないのかといえば、そうではない。自分の成績にがっかりしたり、マスコミの態度に苛立ったりしても何も変わらない。穏やかな態度でいるほうが、結果的によく打てることが分かっているからだろう。

「言葉」を最もよく選んでいるのは、イチロー選手である。彼がインタビューになぜゆっくり答えているか? おそらく自分の耳にどんな言葉を入れて、揺らがず勘違いしないように常に考えているからだろう。それによって最も影響を受けるのは、他でもない自分自身だからである。

最後の「思考」は、外側の出来事をどう認知するかの思考ではなく、どう考えれば心を気付く状態にできるかということである。
例えば「好きなことを(思考)考える」事も有効だろう。
選手同士のミーティングでだれも発言をしない場合がある。気付かないよどんだ状態だ。特に長く一緒にいるメンバーが多くなるとマンネリから心が気付かない状態が増える
だから「今食べたいものは何だ。やりたいスーパープレーは」などと提案する。すると必ず心が居眠り状態の数は確実に減る。

--------------------

☆★次は「いまに生きる」という思考だ。
過去や未来のことを考えると、○○しておけばよかった、○○したらどうしよう、といった後悔や不安が生じ、意味づけがしやすくなってしまう。しかし「いま」には意味づけがしにくい。そうやって今(いま)に生きることができれば、人生は好転する。
車椅子バスケの全日本チームの選手。彼らには「いまに生きる力」が圧倒的に強い。あの時なぜ夕方に家を出て事故に遭ったのか、などと考えてみても、切断した足は戻ってこない。そして明日という日が、今日(きょう)のような形で確実に訪れるわけではないことを、身をもって知っているためだろう。

「一所懸命やる」や「感謝する」思考などもその典型である。
適当に物事をやるよりも、一所懸命やるほうが楽しいと感じる遺伝子を我々は持っている。また、感謝の脳の機能は、まず人にエネルギーを与える。
周りの期待に応えようとするだけでなく、まずサッカーができる事自体に感謝しながら試合をし、応援してくれる家族に感謝し、良い試合ができる対戦チームに感謝することができれば揺らがぬ心が発揮されるとてもよい力となるだろう。

世の中で成功者といわれる人とそうでない人の差も、外部環境に左右されず、安定したパフォーマンスを常に発揮できているかどうかにあると言えるだろう。
つまり結果だけでなく、勝つまでの間、そのすべてのプロセスに揺らがぬ心を伴いながら生きている人が、成功も手に入れやすく、日々を充実して生きることができる。
そして結果のみが成功ではないと分かっている人が、最終的に結果の成功も手に入れているのである。

その代表は、ここでもやはりイチロー選手。彼はヒットを二百本打っだのが成功ではなく、二百本を打つためにどんな心のあり方で過ごし、トレーニングを積んできたかに重きを置いている。その結果、高いパフォーマンスを発揮できることで結果もちゃんとついてくる。

揺らぎやとらわれがなくなれば視野が広がる。そして例えば、いままで咲いていても気づかなかった美しい花に、気づけるようになる。誰かによい言葉をかけられていても気づかなかったのに、気づけるようになる。

だがこのトレーニングには努力がいる。。
意識されない時の自分のとらわれている位置を確認する作業、繰り返し繰り返しの瞬間瞬間の反復が必要だ。
思いのまま感情を外的要因と、認知脳にゆだねていたことを、自分から「揺らがず気付き」の働きかけをするのだから。

確かなことは人生は1回。誰のもではなく自分の人生であり、外的な要因に流されるのではなく、その夢をどうするかは自分にかかっているのだ。

ことばに思想

静岡学園のブログに下記のような記載がありました。
とても大切なことなのでそのまま転載させて頂きます。
記載元https://www.facebook.com/shizugakufc

他人への恩を知らない男は、
家庭で、学校で感謝とまわりの人への尊敬を学んでこなかった男は
先輩のことを表で「クン」付けする。
裏では呼び捨てだろう。

断言しよう。
日本の美徳を持たぬ、
「リスペクト」の魂のない軽い人間は、
信頼されない大人になる。
苦しい特に自分のことだけ考える。
大切な時に頑張れない。逃げる。
これが長く見てきた現実。

日本の美徳を捨て去った戦後教育のせいだが、
そこに帰すべきではない。

家庭であり家族の生活がそこに反映されている。
家庭で、本来の毅然とした子が育つ日常が、薄っぺらな日常にすり替わっている。
「学ぶべき人の前では控えめに立ち、その人に敬意を表し、常に学ぼうとすること」
「人には親切に、過酷な運命進む人には同情ではなく自分を投影し、自分の為すべきことを問う」
「上には上がいるという現実を知り、先人に感謝する」
その当たり前の「人の哲学」が解体しているのだ。

周りの人を尊重しなさいといっても、
覆(おお)われてしまった親子の個人主義は抜けず、
自分だけが大事という思考に固まっている。
快(こころよ)いが善で、労(いたず)くは損。
だから何しても
「さん付け」は身につかないのだ。

社会に出て初めて気づくことがある。
まともな世界が男を信用するところ、評価するのは、そういうところ。

自分を最優先にしか思考しない男。
一瞬勘違いできる環境にいようと、
齢を経て最後の最後にいるのは場末の指定席だ。
すぐそこだ。

2013年7月15日月曜日

7月3連休3日目中学部

7月3連休3日目はバタバタした一日でした。

アドバンスリーグU15が予定されておりましたが、前日に対戦相手が学校活動中の熱中症により試合が出来ないことが分かり、急遽トレーニングマッチを2試合に変更となっていました。

今日、現地に行ってみると第一試合の公式戦が行われてませんでした。

??????

会場の方に聞くと、第一試合の一チーム内で代表と現場が連絡を取れてなかったらしいとの事です。

よって、以降のすべてのスケジュールも変更となりました。

アップ後すぐにトレーニングマッチを開始したのですが、雨によるグランド使用中止となりトレーニングマッチも一試合で終了となってしまいました。

どんな状況になっても対応できる柔軟な姿勢取ることの大切さを学んだ貴重な一日でした!


7月3連休2日目

7月3連休の2日目(14日)はジュニアユースは午前中に大東市の中学校グラウンドで練習を行いました。

練習前に私生活を普段の行動や心構えについて、よい習慣付けを行う必要性について時間をかけて選手たちに話をしました。
今日の練習では選手たちにはメリハリをつけることを強く求めました。
そういうこともあり選手たちにとって今日の練習は、かなりキツかったたのではないでしょうか。

昼からは大学女子の公式戦があったのでJ-Green堺まで行ってきました。
女子チームも当クラブと同じく、成長段階のクラブです。
現場での指導方法やクラブ運営など、沢山の事を常に勉強させていただいています。
その事を子供たちに還元出来たらと思います。

子供は宝

静岡学園のブログに下記のような記載がありました。
とても大切なことなのでそのまま転載させて頂きます。
記載元https://www.facebook.com/shizugakufc

男は誰よりも苦しいこと抱えなければ、大きく前へは進めない。

じゃなきゃ、
幼稚で、言い訳だらけで、他力本願で、誰かが同情してくれることをいつも待つ。
いいかっこしいで、見栄っ張りで、弱い。

失敗してもありもしないリセットボタン押そうとする。
苦しくて苦しくてたまらない現実で立ち向かえないんだ。
逃げるんだ。

道を進む男は必ず救いようのない消せない過去を持つ。

本当の感謝できる男、信用できる男ってのはそうなんだ。

幸せな栄光など世界中探してもどこにもない。

幼稚な子供の目から見たなら、
世界は笑えない真っ暗な不幸そのものだ。

光はその中でドブ泥になってもがき、
初めて、かすかに、
遥かかすかに見えてくるもの。

これが残念ながら真実。

決意せよ。
そんな選択を逃げないで選びなさい。

多くの大人が、自分の保身で、

君らのおおいに肯定すべきを切り捨て、
君らの断固否定すべきを評価するから。

努力を見ないで、
途中の結果しか見ないから。

能力とかセンスとか、
そんな目でしか挑戦者を見ないから。

その若者の20年後は暗いのだ。
彼らが暗けりゃ、
俺たちも暗いということだ。

サッカーを通じてなるべき彼らの未来に、
思いを馳せないダメやろうが、
学ばず、国家観も持たない講釈やろうが
育成の場に鎮座している。

そのことが世の不幸だということ。

子供は宝。
未来の俺達を最先頭で支えてくれる友人だ。

7月3連休初日

7月3連休の初日(13日)にアドバンスリーグが関西医療大学人工芝グランドで行われました。

いつもブログで書いている通り試合相手は常に自チームよりフィジカルも高く気持ちも強い選手が数多くいます。

前半は、暑さにやられ相手の簡単に前方へ放り込んでくるロングパスからの攻撃にスト氏戸惑うこともありましたが、崩されることもあまりなく不運なPKで1失点という少し残念な結果になってしまいました。

気候などの外的要素にモチベーションや動きが簡単に変化してしまう事に対しては、選手たちに目標設定の置く位置について考えさせないと思いました。

簡単な選手たちに投げかけを行い、後半へ送り出しました。

後半立ち上がりすぐにショートパスで相手を崩し同点へ。
ボール支配率としては前半に比べると格段に上がり、しっかりとデータとして出したわけではないですが60パーセント程度に上がったように思います。

相手最終ラインを何度も破りに行きますが、判断をしないで行動を行うことで崩し切れずカウンターを受けてさらに自分たちのミスで2失点。残念ながら大事な勝ち点を失うことになってしまいました。

しかし、最近の試合は依然と比べその場しのぎの個人プレーなどが少なくなってきているように感じるようになりました。内容に関しては子供たちの更なる成長も期待できますし、個々がサッカーを理解し考えてプレーできるようになってきてるのではないかと思います。

自分で考えて行動するために最低限必要だと思われる技術や戦術の徹底をはかり、個々の成長を促せることが出来ればと思います。


2013年7月14日日曜日

保護者

静岡学園のブログに下記のような記載がありました。
とても大切なことなのでそのまま転載させて頂きます。
記載元https://www.facebook.com/shizugakufc

匠のことば2009年・保護者
「後方支援の強力な理性集団“父母の会”への示唆」

・「子どもは無限の可能性を秘めている。みんなの宝なんだという視点で」
・「周囲は子どもを育てる義務がある」
・「競争社会のなかで、しっかりと平等な関係性を築けているか」
・「父母こそ成長が必要」
------------------------------
これまでの指導者生活のなかで選手の父母との接し方は、徐々に変わってきた。
指導者になりたての最初の10年は、俺も若かったし、父母の方が年上になるから、控え目に付き合っていた。
それから10年くらい経つと、世代が同じくらいになるし、関係も対等になっていく。
そして、ここ最近の15年は、今度は俺のほうが年上になり、意識的に父母との距離を置くようになっていったね。

父母と付き合っていくのは、本当に難しいんだよ。
親というのは、自分の子どもの方ばかりに目がいくものだ。
それはある程度、仕方がないことなのかもしれないけど。

ただ、指導者はそのことを常に念頭に置いておかないと、後で痛い目に遭うこともある。
コミュニケーションをとることは大切なんだけど、しっかりと一線を引いておかないと、様々なトラブルに巻き込まれる可能性があるんだ。

静岡学園の場合は、入部してすぐに選手たちの父母に、チームの方針や、その課程で起こり得る様々なことを説明していく。
トラブルの多くは、自分の子どもが試合に出られないという状況から生まれる。
ただ、最初にしっかりとコミュニケーションをとることで、余計なトラブルが避けられるものなんだ。

子どもは親だけのものではないということなんだ。
子どもは学校の、地方の、あるいは日本の宝になる可能性を秘めているんだよ。
そういう視点で、
「周囲は子どもを育てる義務がある。子どもは自分だけのものという感覚ではなくて、みんなの宝なんだ」
ということを話すんだ。

また、サッカーは競争社会だから、決して平等ではない。
そこは誤解しちゃいけないところなんだ。
格差がないことなんてないわけだけど。
だからこそ、健全な上下関係ができるし、それはすごく良いことだと思うんだ。

身近に尊敬できる人ができたり、挨拶や敬語の使い方を覚えられる環境はすごく大事。
そういうなかで育つことで、将来、世の中の役に立つ立派な人間になることが重要なんだよ。
サッカーだけ上手くなっても仕方がないんだ。

50人の部員がいれば、3年間トップチームの試合に出られない選手も出てくる。
でも、これは仕方がないこと。

いつもこの時期になると、卒業する3年生と父母が集まって、お別れ会があるんだ。
そこで子どもたち一人ひとりに3年間の思い出を述べさせるんだけど、そこで時々、次のようなことを言う選手がいるんだ。

「お父さん、お母さん、ありがとう。レギュラーにはなれなかったけど、お陰さまで3年間、一生懸命サッカーができました」

こういうのを見ていると指導者をしていて本当に良かったと思うね。
試合に出られないのは、仕方がないことなんだけど、
そういった「競争社会のなかで、しっかりと平等な関係性を築けているんだ」とも思うんだ。

素直に感謝の気持ちを述べられるのは、素晴らしい親子関係が築かれているからだ。
指導者としても清々しい気持ちになれるね。

常に「練習」

静岡学園のブログに下記のような記載がありました。
とても大切なことなのでそのまま転載させて頂きます。
記載元https://www.facebook.com/shizugakufc

競技スポーツで勝ち負けは重要だ。
勝負に食い下がらず、単に楽しみとしてやる「遊技スポーツ」と「競技スポーツ」は一線を画す。

ひとつは、競技スポーツに関わる選手には勝ち負けを正面に捉えることが求められる。勝負に徹底してこだわる。
ただ負けないで長期にわたって勝ち続けるチームはない。そんな競技は余程人気のないそれだ。

もうひとつ、勝ち負けを「目的」にスポーツをやることでは競技スポーツの本質にいつまでたっても迫れない。
勝敗は、「目標」のひとつだが「目的」ではない。
競技スポーツの本質は「目的」に向かう「手段」として「目標」があるということだ。
自明のことだが、競技スポーツに関わる人生は短い。 
「拘った勝負を可能にするために、自覚的練習や生活などの準備をする中で身につくもの」
が、競技スポーツの目的に値するものだ。

「生活が試合に出る」と多くの人物は語る。
深い真理だ。
目の前の勝ち負けだけの為に特別なことをやっても、
それは日常の濃さには敵わない。
目先の手練手管は、彼らの未来にマイナスだ。

結果を求めず積み重ねる人の24時間の努力の継続。
それが、真っ当な魅力溢れる人間をつくる。

特別な手練はなにも加えない。
誰よりも練習するのは前提。
他人より早く起きる。
他人よりたくさん飯を食う。
他人より真剣に授業を受ける。
目標に向かって後回しにすべきものを選択し我慢する。
時に怠けがちな、
やるべきことをやりきり寝る。
そういう生活の瞬間瞬間こそすべてだ。

授業とか掃除とか自分の衣類の洗濯とか、いつもの自主練習や基礎練習とか、
大切なそういうこと飛ばして勝ちたいなら、勝たない方がいいし、まあ勝てはしないだろう。
大切なことやりもしないで、策したり、妬んだり、強請ったりすることは、薄っぺらい卑しい輩の生き方だ。
とにかく「勝ちたい勝ちたい」指導者や選手や親は、選手のその先を、選手そのものを見失っている。
サッカーは見栄のための道具ではなく、勝利は目標だが目的ではなく、栄冠は瞬間のもの。
人生はもっともっと豊富で、彼らのその先に素敵に長く続くもの。

競技サッカーの勝ち負けには相手がある。
100%の力を出し幸運に恵まれた価値の高い勝利はある。
しかし、評価に値しない、全力を尽くさない勝ち、次につながらない結果のみの勝利もある。
目の前の勝利を拾い、先の多くを失う事をみる場面さえある。
挑戦心にあふれた価値の高い負け、転機を生む負けがこれがまたあるんだ。
優れた対戦相手に恵まれた敗者もある。
敗北と引き替えに今後の挑戦の道をはっきりと浮かび上がらす試合は必ず存在する。
サッカー特有と言っていい引き分けにも同じように意味がある。

特に育成年代のチームは「その結果」に一喜一憂しては成り立たない。
誤解恐れずいえば、選手のサッカーをやる目的がずれているなら、チームの優勝には価値がなく、またその勝利は負の意味を持つ。

ひたむきに頑張ってもすぐには叶わないことが世の常だ。
「上には上がいる」事の認知と、敗北受け入れる器もつこと、対戦相手に対するリスペクト持てる人となること。
それが大切なんだ。
勝利が叶って勘違いするのは、目的が不純であるということ。
目的を見失うな。
「拘った勝負を可能にするために、自覚的練習や生活などの準備をする中で身につくもの」
それこそ長い人生を生きようとする君が見つめるべき目的だ。
勝利など一瞬。未来は長く続く。

2013年7月7日日曜日

2013年度アドバンスリーグ

本日、2013年7月6日に貝塚南高校で2013年度アドバンスリーグが行われました。
風が非常に強く厳しい環境での試合でした。

1年生は遠征で試合を多くこなせたので、今回は2、3年生メインのメンバー構成で試合に挑みました。

相手チームはフィジカルやアジリティーも高く、ドリブルで引きずられる場面が多くありましたが2点を奪い失点も1で抑え勝利することが出来ました。

これで2勝2敗ですが、更なる勝ち点の積み上げを目指して頑張りましょう!

(会場の貝塚南高校です。今後、会場になる事が多くなると思われます。)